鉄道

Durango & Silverton Narrow Gauge Railroad

かつての鉱山の街Durango

  コロラド州南西部、デュランゴは、かつてサンファン(San Juan)山脈で産出された金、銀の積み出し拠点として賑わった街。デンバー・アンド・リオグランデ鉄道(Denver and Rio Grande Railroad)のデュランゴ-シルバートン間の路線が開通したのは1882年のこと。精錬所も建設され、以来デュランゴは路面電車や新聞社を備える街に急成長した。しかし、1900年代を迎えると、大戦の勃発による政情不安と度重なる水害、そして疫病の流行がデュランゴの街に暗い影を落とす。鉄道は1969年に経営の継続を断念するが、西部開拓時代の面影を色濃く残す鉄道の存続を求める声は強く、1980年代にデュランゴ・シルバートンナローゲージ鉄道(D&RNGRR)として復活を果たした。

  観光鉄道とはいっても、総延長45マイル(72km)もの路線延長を持ち、1900年代初頭に作られた6両もの蒸気機関車を稼動状態で保有する。冬季は路線の約半分、カスケード-シルバートン間を運休するものの、通年に渡って蒸気機関車が牽引する列車を運行するコロラド観光の目玉となっている。

  軌間914mmのナローゲージとは言っても、D51と同じミカド型の軸配置を持ち、運転重量100tを超える大型の蒸気機関車であり、「彼女は二挺拳銃(Ticket to Tomahawk)」、「80日間世界一周(Around the World in 80 Days)」など数々の映画の撮影にも用いられている。

  さて、今日は年に数回あるPhoto Specialの日、つまり、列車による撮影地めぐりの日である。D&RNGRRはアニマス川沿い、サンファン山脈の山腹の急峻な地形を走り、市街地周辺以外で平行する道路が無い。従って、走行写真を撮るのは困難を極める。そこで、このPhoto Specialでは乗客は列車で移動するが、風向明媚な場所で列車は止まる。乗客は降りて列車を撮影することができるのだ。

前夜祭

Photo Specialの前夜、オプショナルツアーとして、夜間の機関区公開がある。ターンテーブルを中心として扇状に広がる車庫(扇形庫)の前で、ライトアップされた機関車が幻想的に浮かび上がる。

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Photo Special

アニマス川を渡るHigh Bridge

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渓谷の断崖絶壁のHorseshoe Curveを往く

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走行の様子はビデオもどうぞ。

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Peru

寒い冬は南半球へ

  いよいよボストンも冬本番。正月ともなると真冬日も増えて来ました。こんな時には季節が逆、今が夏の南半球に行きたくなるってもんです。

  という訳で今回のお題はペルー。インカ文明の香り息づくモンゴリアンの国は日本人にもお馴染みです。日本から見ると南米は地球の裏側、当然直行便はなく、北米乗り継ぎで24時間以上かかります。北米から行くとなんと行程は半分!近い!......か?

  ペルーといえばインカ文明。豊かな鉱物資源と高度な土木技術を持ち、度重なる内戦の末に16世紀までに統一を果たしたインカ帝国は、1531年にフランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍にあっけなく陥落してしまいます。

  ペルーを征服したスペインは、金・銀をはじめとするあらゆる富を自国に持ち出し、先住民たちには奴隷として過酷な労働を強いました。インカ帝国時代には1,000万人を数えた人口も18世紀までに1/10にまで激減したといいます。

  現在ではけして豊かな国とは言えませんが、南米らしい明るい活気とスペインの影響を受けた中世ヨーロッパの街並み、そしてアンデスに広がるインカ文明の遺跡。他国に例のない魅力にあふれた国です。

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高原鉄道の国ペルー

  ペルー名物の一つが高原を走る鉄道。近年開通したチベットの青蔵鉄道に世界最高地点を走る鉄道の座は譲りましたが、富士山より高い標高4,000mを超えるアンデスの高原を列車が走っています。

  ペルーの鉄道の歴史は古く、1800年代には主要なアンデス越えの路線が整備されています。しかし、1990年代に急速にその業績が悪化し、1999年に路線の所有権は国有のまま、経営権のみを国際入札により民間へ分離しました。

  しかし安価なバス輸送の台頭により鉄道旅客輸送の経営は依然厳しく、現在では一部の観光路線を除いて貨物輸送が主体となっています。ペルー南部の観光地、チチカカ湖ほとりのプーノ(Puno)からクスコ(Cusco)、クスコからマチュピチュ(Machupichu)へ至る路線を引き継いだのはイギリス資本のオリエントエクスプレス・ホテルグループ。当初は従来のローカル列車も運行されていましたが、現在ではほぼ海外からの観光客を対象とした高級路線へシフトし、観光列車のみの運行になってしまいました。

ペルー南部鉄道

  ペルー南部のプーノ(Puno)からフリアカ(Juliaca)を経由し、クスコ(Cusco)を結びます。旅客列車が運行されるのは月曜・水曜・金曜の僅かに週に三往復。軌間は標準軌(1435mm)で路線延長は385kmで所要時間は約10時間です。

 ボストンより飛行機に揺られること約12時間。プーノに降り立ちました。プーノの標高は富士山より高い約3,800m。この高度では高山病になる人も多く、できれば少しずつ高度を上げて体を慣らしたいところですが、列車の日程に合わせる都合上仕方がありません。

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  チチカカ湖は主要な湖沼としては世界最高地点にある淡水湖で、その広さ約8,300平方キロ、琵琶湖の10倍以上の広さでペルーとボリビアの国境に横たわります。

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  チチカカ湖にはトトラ(葦)で作られた浮島が大小40余りもあり、2,000人余りのウロス族の人々が暮らしています。島、住居、船、全てトトラ製。この島々は、彼らの名前をとってウロス島と呼ばれています。彼らはなぜ浮島で生活するようになったのか?インカ帝国時代に賤民として追われた人々であったとか、スペインの侵略から逃れてボリビアから移り住んだ人々であったなど諸説ありますが、はっきりした記録が無いため不明とされています。

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  さて、神秘の古代湖チチカカ湖を後にして、クスコ行きのAndean Explorer号は朝8時ちょうどにプーノの駅を後にします。

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列車はディーゼル機関車を先頭にバゲッジカー、厨房に続いて客車3両、最後尾にラウンジカーの合計6両編成です。

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10時間の長旅ですが、2回の食事、車内でのフォルクローレ(民謡)のショーありで飽きません。

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行程のハイライトは、ほぼ中間地点にあるラ・ラヤ(La Raya)駅。この駅は標高4,319m。アンデスの高原以外にはなにも無いところですが、どこからやってきたのか地元の人たちが列車やバスの乗客向けに市場を開いています。

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ペルー南東鉄道

  クスコからオリャンタイタンボを経由してアグアス・カリエンテス(現マチュピチュ)を結ぶ鉄道です。こちらは軌間914mmの狭軌。オリャンタイタンボからマチュピチュまでは道路が通じておらず、マチュピチュを訪れる際には、唯一の交通手段となります。

  クスコは標高約3,600mに位置するかつてのインカ帝国の首都。

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  インカ時代の建物はスペイン統治時代に破壊され、現在ではほとんど残っていませんが、スペイン建築の多くはインカの石組みの上に建てられています。

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このサント・ドミンゴ教会もその一つ。かつての太陽の神殿「コリカンチャ」があったところで、今でもインカ時代の石組みの一部が残ります。

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  カミソリの歯一枚通さないといわれる緻密な石組みと台形の窓。ペルーは日本と同様地震国の一つで、スペイン統治後の1650年、1950年にもクスコを大地震が襲いました。スペイン人が建築したヨーロッパ建築がことごとく倒壊した一方で、インカの石組みはびくともしなかったと言います。

  インカ建築に用いる石材は、牛馬も用いず全て人手で運んだといわれています。インカ文明には車輪がありません。彼らの最も崇拝したものは太陽であり、太陽と同じ丸い形をしたものは神聖なものとして生活の道具として用いようとしなかったのです。

  さて、神聖な丸い形をした車輪のついたペルー南東鉄道に話を戻します。

  クスコはすり鉢状の台地で、四方を山に囲まれています。クスコを発った列車は、出発直後に4箇所、その後2箇所のスイッチバックによって勾配を克服します。スイッチバックとは、勾配に対して斜めに進み、途中方向を変えながらジグザグに上る方法です。

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列車には、設備のグレードによってBackPacker、VisataDome、HiramVinghamの3種類があります。写真はVisataDome。天窓、テーブルつきの車内。

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早朝出発のため軽食が出ます。ペルー産の陶器、ペルーセラミカが可愛い。

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クスコからマチュピチュまでは107km、所要時間は約4時間です。

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現在のマチュピチュ駅は、かつてはアグアス・カリエンテスと呼ばれていました。アグアス・カリエンテスとはスペイン語で温泉の意味。その名の通り、町内には温泉がわいており、入ることができます。

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これらペルーの鉄道の様子は動画でもどうぞ。

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Cusco to Machupicchu

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テハチャピ・ループ

  カリフォルニア州南部、沿岸部と東部に広がるモハベ砂漠とを隔てているのがテハチャピ(Tehachapi)山地です。

  大都市サンフランシスコとロサンゼルスを結ぶ鉄道は、1876年サザンパシピック鉄道により初めて建設されました。この鉄道を建設するに当たって最も難所とされたのが、このテハチャピの峠でした。最も標高の高いところは約3,800feet(約1,150m)、勾配を嫌う鉄道は、この峠をループによって克服しています。

  飛行機や自動車が発達したアメリカでは、鉄道は斜陽産業のイメージがありますが、実は長距離貨物輸送では鉄道がトップシェアとなっています。いわゆるマイル・トレイン、1マイル(1,600m)以上ある長大な貨物列車が広大なアメリカ国内の物流を担っているのです。現在でもテハチャピ峠は、ユニオンパシフィック鉄道(UP)とバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道(BNSF)の長大な貨物列車が行きかう物流の要衝となっています。

  ループを一周してもまだ後部が見えない長大な貨物列車。ここは古くから、鉄道ファンの間で名所として知られ、現在でも世界中から多くのファンが訪れます。

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サンタフェ鉄道の歴史的鉄道遺構

  現役で活躍するものを「遺構」と言っては失礼かもしれない。

先日乗ったアムトラックのサウスウエストチーフ号、ニューメキシコ州走行中にチラッと見えた信号機。「え、腕木.....?」

  その後は見かけることもなく確証は無かったが、帰ってから調べてみると、確かにニューメキシコ州、RatonとLas Vegasとの間にはサンタフェ鉄道時代から残る「腕木式信号機」が現役で活躍しているらしい。

  腕木式信号機とは、信号機から突き出した腕が物理的に動くことで「進行」や「停止」を指示する信号機である。かつては世界中の鉄道で見ることができたが、現在ではその多くがライトの色で列車の進行を指示する「色灯式」に置き換えられ、ほとんど見ることができない。

  日本でも近年までローカル線でその姿を見ることができたが、色灯式への置き換えや、路線自体の廃線によって、2008年現在では青森県の津軽鉄道に数本が残るのみとなっている。下写真は津軽鉄道、五所川原駅の場内信号機。

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  宮沢賢治の短編、「シグナルとシグナレス」にその腕木の動きによって感情を描写するシーンがある。腕木信号機がほとんど無くなってしまった現代、その情景をイメージすることは難しくなっているかもしれない。

腕木・ハエタタキ・短尺レール

  さて、アムトラックのサウスウエストチーフ号は、旧アッチンソン・ピカタ・サンタフェ鉄道の路線を使い、シカゴとロサンゼルスの間を結ぶ旅客列車である。サンタフェ鉄道は1996年にバーリントン・ノーザン鉄道に吸収され、現在ではバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道(BNSF)の一部となっている。

  サンタフェ鉄道の路線の大部分は時代とともに整備され、信号も近代的な色灯式のものが用いられているが、なぜかニューメキシコ州北部、Raton付近のみ、現在でも腕木式信号機が活躍する区間が残されているのだ。長大貨物列車やアムトラックの寝台列車の行き交う一級幹線に21世紀まで腕木信号機が残されているのは奇跡としか言いようがない。

  それも、何年も前から置き換えがアナウンスされており、本来ならもうすでに撤去されているはずのものらしい。

  アメリカらしい雄大な景観の中を駆け抜けるアムトラックの長距離列車と腕木信号機。それも近日中に姿を消すという。いてもたってもいられなくなり、後日取材(?)に駆けつけた。

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  ワゴンマウンド(Wagon Mound)付近をサウスウェスト・チーフ号が高速で駆け抜ける。ワゴンマウンドは周囲を断崖絶壁に囲まれた同名の孤峰(butte)の名前に由来する地名である。ちなみに、このあたりの定期旅客便の発着する最寄の空港はニューメキシコ州アルバカーキか、またはコロラド州コロラドスプリングス。どちらからも約300km離れている人口希薄地帯である。

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  腕木が上を向いているときが「進行」、斜め上が「注意」、横向きが「停止」を表す。日本の腕木信号機では下向きが「進行」、横向きが「停止」で若干異なる。また日本では通常「進行」「停止」の2状態の現示で、「注意」も含めた3現示式のものは見たことが無い。

  この指示は電線によって伝えられるが、線路脇にはその電線を設置するための電信柱が設置されている。かつて日本ではその見た目から「ハエタタキ」と呼ばれていたものだ。

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  その他にも、この付近では短尺レールや木製の橋脚など、まるで50年前にタイムスリップしたかのような鉄道情景が展開されている。

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Wigwagって?

腕木式信号機と同様に、アメリカで絶滅の危機に瀕している鉄道施設にWigwagがある。日本では使われることがなかったので我々にはピンと来ないが、Wigwagはかつてアメリカで広く用いられていた踏み切り警報機だ。

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  列車が接近すると、カンカンという警報音が鳴ると同時に、上部の円盤の赤ランプが点灯し、左右に首を振るしかけだ。かつてはアメリカのどこでも見られた踏切警報機だそうだが、日本と同じ2つのランプが交互に点滅するタイプに置き換えが進み、現在では極めて数が少なくなっている。

  サンタフェ鉄道沿線もニューメキシコ州内は既に絶滅、コロラド州では北部のDelhiに1箇所のみが現存している。

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  腕木信号機にせよWigwagにせよ、機械的な動作を伴うシステムはメンテナンスを怠れば錆や磨耗によって動かなくなる。コストに厳しく、合理社会のアメリカでこの人手のかかるシステムが今日まで残っていることははっきり言って驚きだ。

  ずいぶん前から置き換えがアナウンスされているとはいえ、幸運にも21世紀にまで生き延び、さらに毎日働き続けていることを素直に喜びたい。

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from Los Angeles to Boston by rail

アムトラックで大陸横断

  日本に出した仕事メールの返事が来ません。どうやら日本は全国的に夏休みのようです。それならば、とロサンゼルスからボストンまで、アメリカ合衆国を東西に横断する鉄道の旅をしてみることにしました。

  アメリカ合衆国の西海岸と東海岸が鉄道で初めて結ばれたのは1869年のこと。1862年、国策としてセントラルパシフィック鉄道とユニオンパシフィック鉄道の二社が設立され、セントラルパシフィック鉄道はカリフォルニア州サクラメントから東に向かって、ユニオンパシフィック鉄道はネブラスカ州オマハを基点として西に向かって建設を進めました。

  建設開始から6年後、ついにユタ州プロモントリーサミットで接続。これ以降、アメリカでは10年で路線の総延長が二倍になるペースで鉄道の建設が進み、1882年にはアッチンソン・トピカ・サンタフェ鉄道がロサンゼルスまで至るルートを、1883年にはノーザン・パシフィック鉄道がシアトルに至るルートを相次いで開通させ、アメリカ合衆国は、1900年代初頭に国内の鉄道延長40万キロにも達する鉄道大国となります。

  日本を始めとして多くの国々では主要な幹線鉄道は国によって建設・管理されてきましたが、アメリカではそのほとんどが民間会社によって行われてきたことが大きな特徴です。旅客列車についても、各社の特徴を活かした多様な列車が運行されました。

  しかし第二次大戦が終わると、旅客輸送は飛行機や自動車へと急速にシフトします。1960年代には長距離旅客列車は激減し、全ての長距離旅客列車が廃止されるのではないかと懸念されました。1971年、合衆国内の鉄道旅客輸送を存続させるため、それぞれの鉄道会社の旅客部門を統合して、全国の旅客列車を一元的に運営する公営組織として、アムトラックが設立されました。

  東西を結ぶ大陸横断列車も、シアトルルートはエンパイアビルダー号(Empire Builder)、サクラメントルートはカリフォルニアゼファー号(California Zephyr)、ロサンゼルスルートはサウスウエストチーフ号(Southwest Chief)として現在でもこのアムトラックが主体となって運行されています。

  なお、長距離旅客輸送ではほぼ役目を終えた鉄道ですが、他国とは比較にならないほど大きな国土を持つアメリカ合衆国のこと、現在でも貨物輸送においてはトン・キロあたりの鉄道のシェアは40%を超え、「鉄道大国」であることに変わりはありません。かつては無数の鉄道会社が存在しましたが、近年では統合が進み、今は7つの貨物専業会社が22万キロあまりの鉄路を維持・管理しています。アムトラックが運行する列車も、一部を除いてこれら貨物輸送鉄道の線路を間借りする形で運行されています。

  しかし、やはりアムトラックの経営は厳しく、設立以降黒字になったことはありません。近年、同時多発テロや原油価格の急騰で、再び航空機や自家用車から鉄道へ回帰する傾向があるものの、現在でも依然としてアムトラックの全ての列車が赤字と言われています。

  アムトラックはシカゴのユニオンステーションをハブとしており、多くの列車がシカゴを基点としています。今回はロサンゼルスからシカゴまでを「サウスウエスト・チーフ号」、シカゴからボストンまでを「レイクショア・リミテッド号」を利用する合計三泊四日の列車の旅です。

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(画像はクリックすると少し拡大します)

  では参りましょう、All aboard!

サウスウエスト・チーフ号

  サウスウエスト・チーフ号は、ロスアンゼルスのユニオンステーションからシカゴまで、3,600km余りを所定42時間35分で結びます。名前は、1936年に運行が開始された旧アッチンソン・トピカ・サンタフェ鉄道の「スーパー・チーフ号(Super Chief)」に由来するものです。その名も西部開拓時代の「大酋長」、旧スーパー・チーフ号は、ロサンゼルスへの大陸横断ルートを建設したサンタフェ鉄道の威信をかけた看板列車でした。1971年にサンタフェ鉄道からアムトラックに運行が移管されたものの、あまりのサービスの低下にサンタフェ鉄道がアムトラックに対し「スーパー・チーフ」の名前の使わないよう申し入れた関係で、現在の名前に落ち着いたという経緯があります。

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  列車は「スーパーライナー編成」と呼ばれる2階建ての客車です。この日は機関車2両に続いてスタッフ用の車両とバゲッジカー(荷物車)、スリーパー(寝台車)が3両、食堂車、ラウンジカー、コーチ(座席車)が3両の順で12両編成でした。

  予約したのはルーメット。昼間は2人がけ、夜は2段ベッドになる個室で、最大2人で利用できます。スリーパーには、他にトイレつきのベッドルーム、最大4名で利用できるファミリーベッドルームがあります。

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  車掌の他に、寝台車にはアテンダントと呼ばれるスタッフが乗務していて、食事の予約、寝台のセットや各種案内などを担当しています。その他、寝台車にはトイレ、コーヒーサーバー(飲み放題!)、シャワー室などの設備があり、とりあえず暮らすのに不自由することはありません。

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  食堂車。スリーパーの客は、行程を通じて食事、ソフトドリンクは無料(というか運賃込み)です。ただしアルコールは有料。

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ラウンジカー。天窓が開放的。

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ラウンジカーの1階はカフェスペースで、軽食類が購入できます。

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ロスアンジェルスからシカゴへ

  旅立ちはロサンゼルスユニオンステーション。1939年に建設されたターミナル駅で、サザンパシフィック、ユニオンパシフィック、サンタフェ鉄道が使用してきました。現在ではアムトラックと通勤列車のメトロリンク、空港バス(FlyAway)、地下鉄レッドラインが発着しています。

  中庭を持つ白亜の建物で、中も外光をうまく取り入れるつくりで明るく、全米第二の都市の代表駅というよりは、どこか南国リゾート地を思わせます。

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  東行きのサウスウエストチーフ号の出発時間は18:45分。乗り込むと発車前にアテンダントが食堂車の予約を取りに来ます。初回19:15を予約しましたが、少し発車が遅れた関係か、時間ぴったりに行ったらまだ準備中でした。「呼ぶまで待っててください」だそうです。すんません。

  食堂車は、4人未満のグループは、基本的には相席になります。スリーパーの客層は、家族連れかリタイアした老夫婦が多いので、外国人の一人旅でもそれほど気構える必要はありません。とりあえず話の最初は「どこから来てどこに向かっているか」、で決まっていますしネ。

  席に案内されると、給仕からスリーパーの客かどうかをまず聞かれます。伝票に車両・部屋番号を記入してサインすれば、あとはアルコール以外支払いの必要はありません。ただし席を立つ際にはチップを置きましょう。

  夕食から帰ってくると、その間に寝台がセットされていました。東海岸とは3時間の時差があり、これから毎日1時間ずつ時間が早くなります。早寝・早起きを心がけることにします。

  ロスアンゼルスを発って約10時間、夜が明け始めました。列車はアリゾナ州フラッグスタッフに到着します。

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  フラッグスタッフはの住所は"1 East Route 66, Flagstaff, AZ"、そう、かつての大陸横断国道、ルート66沿いの駅なのです。実はこのサウスウエストチーフ号、旧ルート66とほぼ同じ地域を走ります。

  列車はロッキー山脈の南部を迂回するように進みますが、既にフラッグスタッフの標高は7000フィート(約2,100m)あります。きょうはまる一日、標高1,500m以上の地域を進むことになります。空気が薄いのでお酒の飲みすぎには注意。

  フラッグスタッフを出発した列車は、赤土の大平原を快調に飛ばします。人家はまばらですがここは合衆国の物流を担う一級幹線、40フィートコンテナを二段重ねにしたダブルスタックコンテナ列車や、トラックのトレーラーをそのまま貨車に搭載したピギーバックの貨物列車と頻繁にすれ違います。

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  2日目正午、ほぼ定刻に列車はニューメキシコ州アルバカーキに到着。ここで機関車に給油が行われるため、乗客も小休止です。

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アルバカーキを出ると本格的な山越えとなり、針葉樹林の中をゆっくりゆっくり、いくつものΩカーブを超えていきます。標高が最高になるのもこのあたり。

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  夜が明けると、列車はカンザス州へ入っていました。もうロッキーの山越えの雰囲気はありません。朝霧が幻想的。

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やがてカンザス州の中心都市、カンザスシティに到着。ここで多くの乗客が入れ替わりました。

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  そして行程最後の大イベント、ミシシッピ川を渡ります。ミシシッピ川は"The mighty Mississippi"と呼ばれ、北米に豊かな恵みをもたらす母なる川です。このあたりは川幅2km以上あります。まるで湖ですね。

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ミシシッピを渡ると広大な農村地帯に入ります。シカゴへラストスパートです。

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  途中1時間程度の遅れはありましたが、ほぼ定刻3時半前にシカゴへ到着。北米全ての鉄道はシカゴへ通ず、と言っても過言で無いほど、シカゴは古くから鉄道の要衝でした。アムトラックの多くの長距離列車もシカゴを基点としています。

  アムトラックの長距離列車同士の乗り継ぎもよく考えられたダイヤになっていて、東海岸からシカゴに至る列車は午前中着、シカゴから西海岸に向かう列車は午後発、西海岸からシカゴに至る列車は午後着、シカゴから西海岸に向かう列車は夜発になっています。

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  シカゴユニオンステーションは1925年にできた石造りの建物で、 高さ34mの巨大な待合室が特徴です。現在ではアムトラックと近郊通勤列車のメトラが使用していますが、地下鉄やループが直接乗り入れていないので、通勤時間帯を除けば閑散としています。

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写真はシアーズタワーを背景にシカゴを出発する通勤列車Metra。

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レイクショア・リミテッド号

  レイクショアリミテッドはシカゴとニューヨーク、ボストンを結ぶ列車です。かつてはニューヨーク編成・ボストン編成を併結して途中ニューヨーク州アルバニー駅で切り離しを行っていましたが、現在では全編成がニューヨーク行きで、ボストンへはアルバニーで同一ホームで接続する別の列車へ乗り換えとなっています。ニューヨークまでは1,500km余りを20時間40分、ボストンまでは1,600km余りを22時間45分かけて走ります。

  レイクショアという名前は、北米五大湖のうち、ミシガン湖、エリー湖、オンタリオ湖の三湖のほとりの町を経由することに由来しています。

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  レイクショアリミテッドは、「ビューライナー編成」を使用しています。この日は機関車2両に続いてバゲッジカー(荷物車)、スリーパー(寝台車)が3両、食堂車、ラウンジカー、コーチ(座席車)が4両の順で12両編成でした。

  「ビューライナー編成」は、サウスウエストチーフ号で利用した「スーパーライナー編成」とは違い、ダブルデッカーではありません。東海岸に向かう列車は、一部電化区間を走行するため車両限界が小さく、一回り背の低い車両になっています。しかし、その分個室は余裕のあるつくりになっていて、ルーメットにも全室トイレ・洗面台が着いています。屋根裏に荷物収納スペースも。折りたたみテーブルはなぜかチェス盤。

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食堂車。車両中央にギャレーがあります。

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ラウンジカー。こちらも車両中央にカフェ(販売スペース)があるためラウンジは半室構造で、天窓も無いので、二階全室が天窓つきのフリースペースだったスーパーライナー編成のラウンジカーと比較すると、簡素な印象を受けます。

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シカゴからアルバニー・ボストンへ

  列車は接続列車遅延のため、1時間ほど遅れた23時頃にシカゴを出発しました。出発を待つ間、食堂車ではチーズが振舞われ、アルコールなどが販売されていました。発車するとすぐに東部時間になります。既に深夜帯ということもあって、すぐに寝台をセットして皆さん眠りにつきます。

  この列車、湖岸を走る列車ですが、西行き、東行きともに湖岸を走る時間は夜間で、線路もそれほど湖に近くないので、実際のところ湖面を見るチャンスはほとんどありません。

  むしろ、Uticaを過ぎると、ずっとモホーク川(Mohawk River)沿いを走り、こちらの景色が良い感じです。

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  シカゴからアルバニーまでは、湖岸と川岸を走ることもあって、ほとんど起伏はありません。最高地点も300mほどです。トウモロコシ畑の広がるなだらかな丘陵地帯を走ります。

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  列車はシカゴからの遅れを更に拡大させながら、およそ1時間20分遅れてアルバニーに到着しました。アルバニーは人口10万人足らずの小さな町ですが、ニューヨーク州の州都です。

  列車とずっと寄り添ってきたモホーク川はここアルバニー付近でハドソン川に合流し、遠くマンハッタンで大西洋に注ぎます。

  ここからはボストン行きの編成に乗り換えです。同じ「レイクショア・リミテッド」の名前を冠する列車ですが、機関車に続いてバゲッジカー、カフェカーに続いてコーチ車が僅か2両。さびしいものです。

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  時刻表上は、ニューヨーク行きの編成はここアルバニーで1時間15分もの停車時間があり、接続するボストン行きが発車した後、ニューヨーク行きが発車するスケジュールになっています。ニューヨーク行きの編成はシカゴから16時間走り続けてきているため、おそらくここで給油することになっているのだと思われますが、今日は遅れのため、ボストン行きより先に機関車を付け替えてそそくさと発車して行きました。あらかじめ満タンの機関車を用意してそれに付け替えることで、給油の時間を節約しているのでしょう。

  割りを食ったボストン編成は17時30分、ほとんど遅れを回復することなく1時間20分ほど遅れてアルバニーを出発しました。

  しかし、ここからは爆走でどんどん遅れを回復し、所定より約15分遅れてボストン南駅に到着。お疲れ様でした。

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  西海岸ロサンゼルスから東海岸ボストンまで、5,200km。飛行機の格安チケットを使えば200ドル台で往復できる今、片道所要時間72時間15分、料金約$1,200は、時間的にも、金銭的にも非常に贅沢な旅です。

  しかし、食事のテーブルでの同行の旅人との出会い、流れ行く景色を心行くまで眺める至福。何時間もの遅れを笑い飛ばす余裕。21世紀に生きる我々に残された数少ない心の贅沢の一つです。

  近年まで数多くの夜行列車が西へ東へ雁行していた日本でも、年々夜行列車が廃止され、現在では数えるほどになりました。アメリカでも、巨額な赤字に毎年のようにアムトラック解体が議論されています。もしかしたら数年後、アメリカに長距離列車は走っていないかも知れません。

  いつかは乗ってみたい、と思っている人は多いはずです。でもおそらく、いつまでもあるものではありません。ちょっとの時間とお金の余裕を作れるみなさん、是非体験してみてはいかがでしょうか。

おまけ。食堂車でのお食事集。

1日目ディナー(ビーフ)

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2日目朝食(チーズオムレツ)

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2日目ランチ(ローストビーフ)

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2日目ディナー(テラピア)

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3日目朝食(フレンチトースト)

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3日目ランチ(バーガー)

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4日目朝食(スクランブルエッグ)

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4日目ランチ(バーガー)

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旅行の前後で3キロ体重が増えました。マジで。タダだからってデザートまでしっかり食べるのがいけないんだけどさ。ヽ(`Д´)ノウワァァァン

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Pike's Peak Cog Railway

なぜかこのBlog、ケーブルカーとか登山列車のエントリが多い。

Pittsburg Incline → アメリカ最古のケーブルカー

Mt.Washington Cog Railway → 世界最古の登山列車

Chatanooga Incline → 世界最急勾配のケーブルカー

そのワケは.....
「バカとケムリは高いところに昇りたがる」
........真理だ。

  というわけで、今週もまた高いところからお送りします。降り立ったのはコロラド州、デンバー国際空港。コロラド州は、南北にロッキー山脈が貫いており、州全体の平均標高が2,000mを超える、全米で最も高い所にある州です。
  デンバー国際空港からしてすでに標高1,600m。空気が薄いぜ。おまけにこの空港、ターミナルの長さが1,000m以上あります。飛行機に間に合わない!とか走ったら確実に酸欠になるな、こりゃ。
  ちなみに、このデンバー国際空港、世界の民間空港の中で最も長い、4,853mの滑走路を持ちます。一般に、標高が高く、空気の薄い場所では、飛行機の翼が発生する揚力(浮き上がるための力)、エンジンの発生する推力(前に進ませる力)ともに低下するため、飛行機が離陸するためにより長い滑走距離が必要になるためです。

Pike's Peak Cog Railway

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  コロラド州には、13000フィート(3,962m)以上の山がなんと250峰以上、さらに、14,000フィート(4,267m)以上の山も53峰もあります。Pikes Peakはその中で31番目に高い山で、その標高は14,110フィート(4301m)です。

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  Pike's Peak Cog Railwayは、麓の町Mantouから頂上まで約8.9マイル(14.2km)を結ぶ登山鉄道です。登山鉄道としては、全長、到達高度ともに世界一です。ただし、一般の鉄道を含むと、チベットの青海鉄道(5,072m)、ペルーのアンデス中央鉄道(4,787m)、アンデス高原鉄道(4,319m)についで4番目に高いところを走る鉄道ということになります。

  なお、山の名前Pikes Peakは、探検家Zebulon Pikeにちなむものですが、鉄道の名前はPike's Peakとアポストロフィがつきます。

  鉄道の開業は1890年。平均勾配は約160‰(1,000m進んで160m登る)で、中央のラックレールに車両側の歯車(ピニオン)を噛み合わせながら上ります。Pp2

  採用されているラック方式は、アプト式と呼ばれる2本の位相をずらした歯に2枚の歯車を噛み合わせるもので、同じアメリカのラック式登山鉄道のワシントン山登山鉄道(こちらはリンゲンバッハ式)とは方式が異なります。

  開業当初は蒸気機関車を使用していましたが、現在では(本場?)スイス製のディーゼルカーです。旅客用の車両は、2両編成が四編成と、単行車両2両の計8編成を保有していますが、相互に連結して運行することはできません。ハイシーズンには、複数の編成を続行させて運転します。

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  手前に見えるのがGE製の事業用牽引車で、これは電気式ディーゼルカー、つまりディーゼル発電機で発電した電力でモーターを回して進みます。屋根上に見えるのは抵抗器です。下り坂ではエンジンをシャットダウンして、車輪のモーターで発電した電力を抵抗器で熱に変えて減速します。

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車内の様子。

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運転台。車のハンドルに似ていますが、これで方向を変えるわけではありません。ヨーロッパの鉄道によく見られるタイプで、右に回すと加速(アクセルに相当)、左に回すと減速(ブレーキに相当)します。

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1日目最終便
  麓のMantouに行ってみたところ、天候は曇。とりあえず登ってみることに。が、途中から雲の中に。

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斜面を登る雲はなかなか幻想的ですが、頂上も雲の中で真っ白け。

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2日目始発便

  1日目は天候が思わしくなく、やや消化不良だったので天候が改善した翌日朝にリベンジ。

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岩場と針葉樹林の中を進むうち、やがて森林限界を超えて眺望が開けます。

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途中はこんなお客さんも。

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そして行程の最後は250‰の勾配をラストスパート。

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頂上からは遠くカンザスまで望むことができます。

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  一般に、人間が酸素マスク無しで活動できる限界高度は14,000フィートと言われています。Pikes Peakの頂上はちょうどこの限界の高度ということになります。ここは0.6気圧程度、この高度を超えて与圧無しで飛行する航空機では、パイロットも酸素マスクを装着することが義務付けられています。はしゃぎすぎたり、体調によっては、高山病になる人もいるでしょう。現に、帰りの列車では青い顔をしてぐったりしている人も見かけました。

おまけ。Georgetown Loop Railroad
  コロラドには魅力的な保存鉄道がそれはそれはたくさんあるのですが、とてもまわりきれないので今回はお預け。
  これはそんな中のひとつ。Georgetown Loop鉄道。その名の通り、弧を描いて山を登っていきます。

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ピッツバーグ

ペンシルバニア州ピッツバーグ。

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  町の中心地は、アルゲニー川とモノンガヘラ川が合流し、オハイオ川になる三角地帯に位置します。水運の利を活かしてヨーロッパから多くの人々が入植し、古くは毛皮貿易の拠点として、その後五大湖周辺の鉱床やアパラチアの炭田に近いことから、鉄鋼の街として栄えました。

  また、郊外のオークランド地区にはカーネギーメロン大学やピッツバーグ大学などの名門大学・研究機関が軒を連ね、文化の香り漂う街でもあります。現在では、これら研究機関がかつての鉄鋼や重工業を中心とした産業から、ロボットやバイオなどの先端産業へと牽引し、多くのハイテク企業が拠点を構えています。

Station Square

  ステーションスクエアは、その名の通りかつて鉄道の貨物駅のあったところを改装して整備した商業エリアで、基本的にはかつての鉄道施設の建物をそのまま利用して作られています。

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1859年から1927年まで使用された溶鉱炉の実物。

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ここは駅跡地ではありますが、いまでも貨物路線自体は現役で、現在でも頻繁に貨物列車が行き交っています。数百両編成の巨大な貨物列車が行き交うのを見るととても壮観。現在でも物流の要衝なんですね。

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Cathedral of Learning

  オークランド地区、ピッツバーグ大学のメイン・キャンパスにある「Cathedral of Learning(学問の大聖堂)」。1937年に建てられた42階建てのネオクラシック様式。ピッツバーグ大学のみならずピッツバーグのシンボルというべき存在です。

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特筆すべきは、ナショナリティ・ルームズと呼ばれる、各国の特色を取り入れた26の教室があること。各国について知るには、その国の文化に囲まれて学習すべし、という思想に基づいているとか。下の写真はオーストリア教室。

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Incline

  ピッツバーグは丘に囲まれた地形で、重工業の煙が低地にこもり、一時期は深刻な大気汚染に見舞われていました。住宅はそれを避けるために丘陵地帯に開発されたため、ダウンタウンから丘陵地帯へと上り下りするためのインクライン(ケーブルカー)の路線が発達しました。かつては17路線もあったそうですが、現在ではモノンガヘラ(Monongahela)とドゥケン(Duquesne)の2つの路線が営業しています。

Monongahela Incline

  1870年に営業が開始された、アメリカでもっとも古いケーブルカーです。全長194mで、113mを上ります。勾配は一定で約35度。

片道$2で、往復または乗り継ぎがある場合は含めて$2.5です。

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車内は3つのコンパートメントに分かれており、それぞれ段差がつけられています。定員は各コンパートメント8名まで。

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登った場所にある展望スペースからは、ダウンタウンが一望に。

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Duquesne Incline

こちらは1877年開業で、全長はモノンガヘラよりやや長い244m。標高差122mで勾配は約30度です。こちらも片道$2ですが、往復や乗り継ぎの割引はありません。

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こちらは車内に段差はつけられておらず、客室はひとつだけです。車内の床が水平になるように、豪快にゲタがはかせてあります。

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なんと、50セント支払うと、ケーブルカーの巻き取り装置部分を見学できます。こいつは、すばらしい!

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実はこのインクライン、登った場所から眺める夜景が有名です。USA Weekend(www.usaweekend.com)と呼ばれる旅行サイトで毎年選ばれている「アメリカで最も美しい場所(Most Beautifle Places in America)」で、2003年に2位を獲得しています。
(ちなみに一位はアリゾナのセドナ渓谷でした)

3本の川とインクラインと摩天楼。う~ん、美しい。

左端の一際明るい場所はPNCスタジアムです。

下の写真、左上にUFOが写っていますが、気にしない。(注:雷です)

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当然、車両の中からも夜景が楽しめます。

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Mount Washington Cog Railway

ニューハンプシャー州北部、ホワイトマウンテンと呼ばれる山系は、秋には美しい紅葉に彩られるニューイングランド地方屈指の観光名所です。山々には、マディソン、アダムス、ジェファーソンと歴代のアメリカ大統領の名前がつけられています。

その中で最高峰がワシントン山で、その標高は1917m。麓のMarshfield駅から山頂まで、標高差約1100mをMount Washington Cog Railwayと呼ばれる登山鉄道が結んでいます。

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開業1868年、本場スイスに先駆ける、世界最古の登山列車です。

路線延長4.8km、標高差約1100m。平均勾配は約250‰(1000m進んで250m登る)です。最急勾配部分は374.1‰(1000m進んで374.1m登る)。

"Cog"とは「歯車」の意味。レール中央に設置された梯子状のツメ(ラックレール)に、機関車の車軸に取り付けられた歯車を噛み合わせながら急勾配を登ります。

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機関車は1870年代から1880年代に作られた蒸気機関車がそのまま使われているのもうれしい。 ボイラーが前方に傾いているのは、勾配によって水が寄らないようにしているのです。

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山頂までに石炭約1tと約1000ガロンの水を消費します。途中で列車の交換と給水のために約10分停車するのを含め、山頂までは約1時間20分の道のり。列車は歩く位のスピードで、ゆっくりゆっくり登っていきます。

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車内の様子。窓を開けると煤が入ってくるので汚れても良い服装で。

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下り坂では客車側も乗務員が細かくブレーキを制御してスピードをコントロールします。

途中、上り(登り?)と下りの列車が交換できる場所は2箇所あります。ポイント(分岐機)は一方は手動で一方は電動。下の写真は手動の方のポイント。中央のラックレールがあるのでとても複雑な構造です。

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こちらは電動。なんと、レールが乗った道床ごと横にスライドして切り替えます。構造は単純ですが、なんだか力ずくですね。

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山頂に到着~。山頂での20分の休憩も含め、往復で所要約3時間です。

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ビンテージもののSLで、しかも登山列車。オススメです。

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メイン州ナローゲージ二題

今でこそアメリカでは鉄道旅客輸送の重要性はかつてより大きく低下しましたが、鉄道遺産の保存については日本よりもずっと熱心で、役割を終えた多くの鉄道が趣味人・ボランティアの手によって維持・管理されています。

アメリカの保存鉄道の多くは学校の夏休みの期間、つまり6月から9月まで運行されます。従って今はオフシーズン。どこか動いているところは無いかしら、と色々調べて見ると、メイン州のいくつかの保存鉄道が動いていそうなので週末を利用して訪ねてみました。

訪れたのはポートランドの"Maine Narrow Gauge Railroad"と、アルナの"Wiscasset, Waterville and Farmington Railway"。どちらもナローゲージ(狭軌)の鉄道です。

ナローゲージ(狭軌)とは、レールの幅が狭い鉄道のことを言います。一般には、蒸気機関車を発明した英国のスチーブンソンから連綿と受け継がれてきた「標準軌」と呼ばれるレールの幅、1435mmよりも狭いレールの幅を採用した鉄道のことです。1435mmは古代ローマ時代から荷車や馬車の車輪の幅だったとの説がありますが、本当かどうかは知りません(^^;

ただ、日本の場合はちょっと複雑で、明治時代にイギリスから鉄道技術を導入する際に、「日本は国土が狭く、山地も多くて工事が大変なのでレールの幅は狭い方が良いだろう」との判断から、多くの路線が1067mmのナローゲージで建設されました。現在でも、新幹線や一部の私鉄を除いて、JRの在来線をはじめ多くの鉄道のレールの幅は1067mmで、日本においてはこちらのほうがむしろ「標準」です。

"Maine Narrow Gauge Railroad"と"Wiscasset, Waterville and Farmington Railway"のレールの幅は共に610mm。正真正銘のナローゲージです。

Maine Narrow Gauge Railroad Museum

メイン州ポートランドにはかつてナローゲージで活躍した蒸気機関車の製造会社があり、この"Maine Narrow Gauge Railroad Museum"もその工場の跡地を利用したものだとか。この博物館は、4両の蒸気機関車を含めナローゲージではアメリカ最多のコレクションを誇り、アメリカのナローゲージファンには聖地のような場所らしい。

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コスコ湾沿いに1.5マイルほどのレールも敷かれており、ナローゲージの乗り心地を体験(?)することができます。湾に沿って海辺を走るので、とっても爽快。今日はディーゼルカーでの牽引ですが、1年のうち10回ほどSLも先頭に立ちます。

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レールはかつての標準軌(1435mm)の貨物線を狭軌(610mm)に改軌したもので、多くの枕木は標準軌時代のものがそのまま使われています。枕木と比較するとレールの幅の狭さが分かります。今は使われていない可動橋(Swing Bridge)に標準軌、狭軌両方のレールが残されていました。内側の2本のレールがこの鉄道のレール幅です。ね、狭いでしょ?

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Wiscasset, Waterville and Farmington Railway

通称WW&F。19世紀の終わり頃、メイン州東部の港町Wiscassetからカナダのケベックを目指して建設が進められた鉄道ですが、FarmingtonでのSandy River Railroadとの接続交渉が不調に終わり、結局最後までケベックに至ることはありませんでした。

現在では途中駅のシープスコット駅周辺の2マイルほどがボランティアの手によって復元され、シーズンには蒸気機関車の運転も行われています。

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webページには4月19日から運転する、とのことが書いてあったのですが、行ってみたところSLはレストアの真っ最中。水タンクの整備中とか。

「来週はバラストの散布とSLの火入れをするので是非手伝って欲しい」

とボランティアへの参加を強くお願いされてしまいました(^^;

現在シーズン再開に向けて線路、車両ともに整備中で、乗せてくれた列車も工事用の貨車を連結した混合列車となりました。

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こうした保存鉄道は、幾多のボランティアによって支えられているわけで、それにはちょっと憧れるんですが、さすがにボストンから毎週は行けないなぁ。

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テネシー州 チャタヌーガ

ジョージア州アトランタから車を飛ばしておよそ2時間。州境を超えたテネシー側にチャタヌーガの街はあります。

古くからテネシー川の水運と鉄鉱石の産出で重工業が栄え、鉄道の要衝としても発展しました。全米初の旅客列車も、ここチャタヌーガとシンシナティの間で1880年に運行が開始されています。この列車の名前をタイトルにした曲、「チャタヌーガ・チューチュー」がヒットしたことにより、チャタヌーガの名前が世界に広まることになりました。

しかし1960年代に入ると深刻な大気汚染に見舞われ、さらに1970年代には鉄鋼不況によって失業率が跳ね上がり、チャタヌーガの街は荒廃します。しかし官民一体となった環境の改善と街の再開発が功を奏し、現在では全米でも最も住環境の良い街のひとつと言われるまでになりました。

Chattanoogaとはネイティブアメリカンの言葉で「岩が迫るところ」。その名のとおり街の一角にはLook Out Mountainという岩山がそびえ、これが観光の目玉となっています。

Ruby Falls

Look Out Mountainには多くの洞穴があることが知られていて、古くはネイティブアメリカンの住居や南北戦争の野戦病院、また鉄道のトンネルなどとして活用されてきました。Rubby Fallsは、大変珍しい洞穴の中にある滝です。地底390m、その落差50mにも及びます。

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鍾乳洞ツアーで見つけた個人的なお気に入り。「Steak & Potato」(^^;

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Incline Railway

Inclineとはケーブルカーのこと。Incline Railwayは、Look Out Mountainを登る約1マイルのケーブルカーです。なんといってもこの鉄道の特色は、最大傾斜72.7%(100m進んで72.7m登る)、旅客輸送を行う鉄道の中で、世界一の傾斜を誇ります。

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車内の様子。天窓もあって開放的。行き違いにはお互い手を振って。

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最大斜度72.7%の勾配に挑む。

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Rock City Garden

Look Out Mountainの最も見晴らしの良い場所にRock City Gardenがあります。

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先端のLover's leapからは、7つの州が見渡せるというのですが.........

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テネシー、ジョージア、ノースカロライナ.......分かりません(>_<)

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