Peru
寒い冬は南半球へ
いよいよボストンも冬本番。正月ともなると真冬日も増えて来ました。こんな時には季節が逆、今が夏の南半球に行きたくなるってもんです。
という訳で今回のお題はペルー。インカ文明の香り息づくモンゴリアンの国は日本人にもお馴染みです。日本から見ると南米は地球の裏側、当然直行便はなく、北米乗り継ぎで24時間以上かかります。北米から行くとなんと行程は半分!近い!......か?
ペルーといえばインカ文明。豊かな鉱物資源と高度な土木技術を持ち、度重なる内戦の末に16世紀までに統一を果たしたインカ帝国は、1531年にフランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍にあっけなく陥落してしまいます。
ペルーを征服したスペインは、金・銀をはじめとするあらゆる富を自国に持ち出し、先住民たちには奴隷として過酷な労働を強いました。インカ帝国時代には1,000万人を数えた人口も18世紀までに1/10にまで激減したといいます。
現在ではけして豊かな国とは言えませんが、南米らしい明るい活気とスペインの影響を受けた中世ヨーロッパの街並み、そしてアンデスに広がるインカ文明の遺跡。他国に例のない魅力にあふれた国です。
高原鉄道の国ペルー
ペルー名物の一つが高原を走る鉄道。近年開通したチベットの青蔵鉄道に世界最高地点を走る鉄道の座は譲りましたが、富士山より高い標高4,000mを超えるアンデスの高原を列車が走っています。
ペルーの鉄道の歴史は古く、1800年代には主要なアンデス越えの路線が整備されています。しかし、1990年代に急速にその業績が悪化し、1999年に路線の所有権は国有のまま、経営権のみを国際入札により民間へ分離しました。
しかし安価なバス輸送の台頭により鉄道旅客輸送の経営は依然厳しく、現在では一部の観光路線を除いて貨物輸送が主体となっています。ペルー南部の観光地、チチカカ湖ほとりのプーノ(Puno)からクスコ(Cusco)、クスコからマチュピチュ(Machupichu)へ至る路線を引き継いだのはイギリス資本のオリエントエクスプレス・ホテルグループ。当初は従来のローカル列車も運行されていましたが、現在ではほぼ海外からの観光客を対象とした高級路線へシフトし、観光列車のみの運行になってしまいました。
ペルー南部鉄道
ペルー南部のプーノ(Puno)からフリアカ(Juliaca)を経由し、クスコ(Cusco)を結びます。旅客列車が運行されるのは月曜・水曜・金曜の僅かに週に三往復。軌間は標準軌(1435mm)で路線延長は385kmで所要時間は約10時間です。
ボストンより飛行機に揺られること約12時間。プーノに降り立ちました。プーノの標高は富士山より高い約3,800m。この高度では高山病になる人も多く、できれば少しずつ高度を上げて体を慣らしたいところですが、列車の日程に合わせる都合上仕方がありません。
チチカカ湖は主要な湖沼としては世界最高地点にある淡水湖で、その広さ約8,300平方キロ、琵琶湖の10倍以上の広さでペルーとボリビアの国境に横たわります。
チチカカ湖にはトトラ(葦)で作られた浮島が大小40余りもあり、2,000人余りのウロス族の人々が暮らしています。島、住居、船、全てトトラ製。この島々は、彼らの名前をとってウロス島と呼ばれています。彼らはなぜ浮島で生活するようになったのか?インカ帝国時代に賤民として追われた人々であったとか、スペインの侵略から逃れてボリビアから移り住んだ人々であったなど諸説ありますが、はっきりした記録が無いため不明とされています。
さて、神秘の古代湖チチカカ湖を後にして、クスコ行きのAndean Explorer号は朝8時ちょうどにプーノの駅を後にします。
列車はディーゼル機関車を先頭にバゲッジカー、厨房に続いて客車3両、最後尾にラウンジカーの合計6両編成です。
10時間の長旅ですが、2回の食事、車内でのフォルクローレ(民謡)のショーありで飽きません。
行程のハイライトは、ほぼ中間地点にあるラ・ラヤ(La Raya)駅。この駅は標高4,319m。アンデスの高原以外にはなにも無いところですが、どこからやってきたのか地元の人たちが列車やバスの乗客向けに市場を開いています。
ペルー南東鉄道
クスコからオリャンタイタンボを経由してアグアス・カリエンテス(現マチュピチュ)を結ぶ鉄道です。こちらは軌間914mmの狭軌。オリャンタイタンボからマチュピチュまでは道路が通じておらず、マチュピチュを訪れる際には、唯一の交通手段となります。
クスコは標高約3,600mに位置するかつてのインカ帝国の首都。
インカ時代の建物はスペイン統治時代に破壊され、現在ではほとんど残っていませんが、スペイン建築の多くはインカの石組みの上に建てられています。
このサント・ドミンゴ教会もその一つ。かつての太陽の神殿「コリカンチャ」があったところで、今でもインカ時代の石組みの一部が残ります。
カミソリの歯一枚通さないといわれる緻密な石組みと台形の窓。ペルーは日本と同様地震国の一つで、スペイン統治後の1650年、1950年にもクスコを大地震が襲いました。スペイン人が建築したヨーロッパ建築がことごとく倒壊した一方で、インカの石組みはびくともしなかったと言います。
インカ建築に用いる石材は、牛馬も用いず全て人手で運んだといわれています。インカ文明には車輪がありません。彼らの最も崇拝したものは太陽であり、太陽と同じ丸い形をしたものは神聖なものとして生活の道具として用いようとしなかったのです。
さて、神聖な丸い形をした車輪のついたペルー南東鉄道に話を戻します。
クスコはすり鉢状の台地で、四方を山に囲まれています。クスコを発った列車は、出発直後に4箇所、その後2箇所のスイッチバックによって勾配を克服します。スイッチバックとは、勾配に対して斜めに進み、途中方向を変えながらジグザグに上る方法です。
列車には、設備のグレードによってBackPacker、VisataDome、HiramVinghamの3種類があります。写真はVisataDome。天窓、テーブルつきの車内。
早朝出発のため軽食が出ます。ペルー産の陶器、ペルーセラミカが可愛い。
クスコからマチュピチュまでは107km、所要時間は約4時間です。
現在のマチュピチュ駅は、かつてはアグアス・カリエンテスと呼ばれていました。アグアス・カリエンテスとはスペイン語で温泉の意味。その名の通り、町内には温泉がわいており、入ることができます。
これらペルーの鉄道の様子は動画でもどうぞ。
Andean Explorer
Cusco to Machupicchu
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